入力と応答のあいだ ― タイプ遅延が壊すもの
この記事の要点
- 入力遅延とは、キーやタッチの操作が画面に反映されるまでの時間差を指す。
- ダン・ルーの計測は、古い機器のほうが入力遅延が小さい場合があると示した。
- 処理性能が上がっても、間に挟まる層が増えると遅延はむしろ拡大しうる。
- 一方で、利用者は遅延の原因を自分の操作のせいだと誤認しやすい。
編集部の二人が、原稿の遅さについて話している。話題は、書き味そのものだ。以下はそのやり取りを再構成したものである。
「最近のほうが遅い」という違和感
A:古いノートパソコンで文章を打つと、なぜか引っかかりが少なく感じるんですよ。最新の端末のほうが速いはずなのに。
B:その感覚、的外れではないんです。プログラマのダン・ルーが、キーを押してから文字が画面に出るまでの時間を、数十年分の機器で計測した記録を公開しています。そこでは、一九七〇年代から八〇年代の機器のほうが、現代の高性能な端末より入力遅延が小さい場合がある、という結果が出ていました。
A:直感に反しますね。計算能力は比べものにならないほど上がっているのに。
間に挟まる層
B:鍵は、入力から表示までに挟まる層の数なんです。昔の機器は、キーの信号が単純な経路で画面に届いていた。いまの端末は、入力を受け取ってから、いくつもの処理層を経て、ようやく画面が描き直される。一つひとつの層は速くても、積み重なれば遅延になる。
A:性能が上がったぶん、その余裕を別のことに使ってしまった、と。
B:そう言えます。豊かになった処理能力が、必ずしも応答の速さに回されるわけではない。百ミリ秒の壁の話とつながりますが、操作と反応が十分の一秒以内に収まらないと、人は引っかかりを感じる。古い機器がその壁の内側にいて、新しい機器が外に出てしまう場面が、現にあるわけです。
原因を取り違える
A:ただ、打っていて遅いと感じるとき、私はたいてい自分の打ち間違いを疑います。機器が遅いとは、なかなか思わない。
B:それは重要な点です。入力遅延は見えにくい。文字が遅れて出ても、利用者は「自分のタイピングが乱れた」「指がもつれた」と解釈しがちなんです。遅延という現象が、利用者の自己評価にすり替わってしまう。
A:システムの問題が、使う側の落ち度に見えてしまうわけですね。
B:ええ。だからこそ、遅延は放置されやすい。誰も明確に苦情を言わないまま、書き味だけが少しずつ鈍っていく。
速さの設計を問い直す
A:結局、何を優先するかという話になりますか。
B:そう思います。機能を足すか、応答を速く保つか。両立できればいいですが、現実には綱引きになる。ネットワーク遅延の文化史でも触れますが、私たちは速さの基準をいつのまにか下げてしまうこともある。遅さに慣れると、それが当たり前になる。
A:裏を返せば、古い機器の書き味を覚えている人だけが、その鈍りに気づける、と。
B:もったいない話ですよね。速さは、進歩とともに自動的に手に入るものではない。意識して守らなければ、こぼれ落ちていく。入力遅延という地味な現象は、そのことを静かに教えてくれます。
参考にした資料
- Dan Luu, “Computer latency: 1977–2017”.
- Stuart K. Card, Thomas P. Moran, Allen Newell, “The Psychology of Human-Computer Interaction”, 1983.