スワイプとスクロールの作法 ― 移り変わりのジェスチャー
この記事の要点
- スワイプとスクロールは、画面の移り変わりを指の動きと直結させるジェスチャーである。
- アップルのヒューマンインターフェースガイドラインは、直接操作の感覚を重視してきた。
- ダン・サファーの著作は、ジェスチャー操作が学習を要する点を早くから論じている。
- 一方、画面に手がかりのないジェスチャーは、存在を知られないまま埋もれやすい。
電車のなかで、隣の人が親指一本で画面を繰っていく。記事を上へ流し、写真を横へ送り、不要な通知を左へ払う。誰に教わったわけでもないその所作は、いまや読み書きと同じくらい身体に馴染んでいる。スワイプとスクロール——指でじかに画面を動かすこの操作は、状態の移り変わりを身体の延長に変えた。
つまみと矢印の時代から
かつて画面を送るには、スクロールバーのつまみを掴むか、矢印キーを叩くしかなかった。操作する対象と、操作の結果である画面の動きとのあいだには、いつも一段の隔たりがあった。タッチスクリーンと慣性スクロールの普及が、この隔たりを取り払う。指を動かせば内容がついてくる。指を弾けば内容が滑り、やがて減速して止まる。現実の紙やカードを扱うときの手応えが、画面の上に再現された。
アップルが公開してきたヒューマンインターフェースガイドラインは、この「直接操作」の感覚を繰り返し重視している。利用者が動かしているのは抽象的なデータではなく、目の前の物体である——そう感じられることが、操作の納得感を生む。画面遷移のアニメーションが因果の手がかりを与えるのと同じ役割を、ジェスチャーは指の動きそのもので果たす。
覚えなければ使えない操作
取材で話を聞いた高齢の利用者は、スワイプの習得に時間がかかったと振り返った。「画面のどこを触れば何が起きるのか、最初はまったく分からなかった」。ボタンには文字や形があり、押せることが見て取れる。だがスワイプには、しばしば見える手がかりがない。画面のどの縁から、どの方向に、どれだけ動かせば何が起きるのか——それは試して覚えるしかない。
インタラクション設計を論じたダン・サファーの著作は、この問題を早くから指摘していた。ジェスチャー操作は直感的だと言われがちだが、実際には学習を前提とする。一度覚えれば速く快適だが、覚えるまでの入口は険しい。スワイプで戻る、長押しで選ぶ、二本指で縮める。こうした語彙を、利用者は手探りで身につけてきた。
見えない操作の代償
画面の縁から内側へ払うと前の画面に戻る——この「エッジスワイプ」は、いまや広く使われている。だが、その存在を画面上で示すものはほとんどない。知っている人には速く、知らない人には存在しない。便利さと発見されやすさは、しばしば反比例する。
もっとも、すべてを画面に表示すれば、今度は情報が溢れて操作の邪魔になる。設計者は、隠すことで得る簡潔さと、示すことで得る分かりやすさのあいだで判断を迫られる。裏を返せば、洗練されたジェスチャーほど、初めて触れる人を置き去りにする危うさをはらむ。
身体に移った移り変わり
スワイプとスクロールは、画面の移り変わりを抽象的な命令から身体的な所作へと移し替えた。指を滑らせれば世界がついてくるという感覚は、もはや説明を要しないほど浸透している。だがその自然さは、長い学習の積み重ねの上に成り立っている。電車のなかで親指を繰る所作は、習得されたことを忘れられた、新しい身ぶりなのだ。
参考にした資料
- Apple, “Human Interface Guidelines — Gestures”.
- Dan Saffer, “Designing Gestural Interfaces”, O’Reilly, 2008.